学生時代、モードへの憧れと共に知ったデザイナー、UMIT BENAN(ウミット・ベナン)。約10年の時を経てYouTubeで再会し、特に心を奪われたのは、独創的なダブルカラージャケットだった。最高級のベビーキャメル100%が生み出す贅沢な素材感、クラシカルでありながら力の抜けた佇まい。約70万円という価格はまさに「妄想の世界」だけれど、その圧倒的な美しさとブランドの世界観に触れるだけで、ファッション愛好家としての心は満たされる。所有を超えた、デザインと表現への愛を綴る。
モードへの憧憬とUMIT BENANとの出会い
約10年前、私が学生の頃であろうか。ファッション誌を読み漁り、画面の向こうの華麗なモードの世界に漠然とした、しかし強い憧れを抱いていた。手の届かない高級ブランドの服を、どう着こなせばいいかも分からないまま、なけなしの金で、時にはクレジットカードの分割払いで手に入れては、クローゼットの肥やしにしていた時代。そんな背伸びと試行錯誤の中で、私の好みは徐々にクラシカルなスタイルへと傾倒していった。Casely-Hayfordの構築的ながらも軽やかなジャケットや、m’s braqueの色気のある独特なパターンメイキングには強く惹かれ、「いつかこんな服が似合う大人になりたい」と、まだ見ぬ自分を妄想していたものだ。
↑PITTIにデビューした次のシーズンのコレクションテーマは”RETIRED ROCKERS”)。
そんな折、いつものように大学の授業中に(内緒だが)スマートフォンのファッションニュースを貪るようにスクロールしていると、一つのニュースが目に飛び込んできた。「UMIT BENAN、Trussardiのクリエイティブディレクターに就任」。記事に添えられたコレクション写真――それは、男らしく、少し埃っぽく、それでいてどこかエレガントで、私の好きなクラシックスタイルを絶妙に”崩した”ような世界観だった。まさに「ドンピシャ」。一瞬で心を鷲掴みにされたのを、今でも鮮明に覚えている。彼の作り出す、映画のワンシーンのような、物語性を感じさせるスタイルは、当時の私には強烈なインパクトがあった。
とはいえ、20歳そこそこの若造には、その渋い魅力も、そしてプライスタグも、あまりにも「早すぎる」ことは明白だった。だから、熱狂はすれども、その大きな波に乗りこなそうとは思わず、ただただ遠くから憧れの眼差しを向け、その世界観の波の上をプカプカと漂うように眺めているだけだった。そんな距離感が、心地よくもあり、少しもどかしくもあった、若き日の思い出だ。
予期せぬ再燃:YouTubeでの再会
それから約10年の月日が流れた。生活も変わり、ファッションとの向き合い方も少しずつ変化していく中で、UMIT BENANの名は、私の記憶の片隅へと追いやられていた。
ところが先日、YouTube(Kのファッション部屋)を見ていたら不意にその名前が耳に飛び込んできた。懐かしさと共に、あの頃の興奮が蘇る。「そういえば、今どうしているんだろう?」久々にその名前を聞いたのでググってみると、紛れもなく「ウミット・ベナンらしい」空気を纏ったコレクションが並んでいた。現在は日本での正規販売ルートが限られているようで、海外のオンラインストアを中心に、食い入るように画面を物色する。クラシカルなベースはそのままに、どこか力の抜けた、それでいて芯のある男性像。その健在ぶりに、久しぶりに心が躍った。片っ端からアイテムを見ていく中で、ひときわ強く私の目を引いたのが、このジャケットだった。

「らしさ」全快のラペルジャケット
これは秀逸すぎる。一見するとオーソドックスなダブルブレストのジャケット。しかし、その襟元にはウミット・ベナンならではの独創性が宿っているではないか。
最大の特徴は、その名の通り「ダブルカラー(二重襟)」。ラペルを普通に寝かせた状態でも、ふっくらとした美しいラペルロール(襟の返り)が実にエレガント。しかし、このジャケットの真価はそこから。内側のラペル(襟)を立てることで、全く新しい表情が生まれるのだ。片襟だけ立ててアシンメトリーな遊び心を演出するもよし、両襟を立ててスタンドカラーのように見せるもよし。着る人の工夫次第で、クラシックなテーラードジャケットの印象を、モダンで新鮮なものへと変貌させてしまう。
全体のシルエットはあくまでクラシカル。肩の作りやウエストのシェイプには、確かなテーラリング技術がうかがえる。だが、醸し出す雰囲気は決して堅苦しくない。むしろ、どこか力の抜けた、リラックスしたムードが漂う。デニム&スニーカー&キャップといったスケーターっぽいラフなスタイリングにサラッと合わせたら強烈な存在感を発揮してくれるに違いない。カジュアルな装いの中に、圧倒的な品格と、ただならぬ存在感を放つはずだ。想像するだけで、たまらなく格好いい。

溜息の出る素材感:ベビーキャメル100%
そして、これがやたら高級感のある生地感だなと思っていたら、それもそのはずのベビーキャメル100%。尋常ならざる生地のオーラ。画面越しにも伝わってくる、見るからに吸い付くような生地感、生で触りたい。
キャメルヘアの中でも、特に生後間もない若いラクダからしか採取できない、極めて希少で高価なベビーキャメル。その毛は驚くほど細く、柔らかく、カシミヤにも匹敵するほどの滑らかな肌触りと、上品な光沢、そして優れた保温性を持つと言われる。
手の届かない贅沢と、尽きない妄想
心がこれだけ昂ぶっているのだから、値段も確認してみよう。ページを開いている現段階では残っているサイズは50と52のみ。やはり人気なのか。いいお値段は確実にするだろうなーとは思っていたものの、4,400ユーロ。日本円にして、約69万円(当時のレート)。
うん、知ってた。いや、予想以上かもしれない。買えるわけがない。買おうとすら思えない。完全に妄想の世界の存在。ラグジュアリーとはこういうものだと、間接的に叱られているような気さえする。学生時代、無理して分割払いで服を買っていた自分とは、また違う次元の話だ。
オンラインでこれを購入する層というのは、一体どのような強者なのだろうか。そして、どのようなタイミングでこれを羽織るのだろうか。ジルサンダーやエルメスといったブランドであれば顧客像が思い浮かばないではないが、今の時代に、あえてUMIT BENANの、しかもこんな高価なジャケットを選ぶ人々。その顔は、私には全く想像がつかない。まさにブラックボックス。これをリアルに着用する人々のスタイリングを見てみたい。
ファッションへの変わらぬ想い:表現としての魅力
いやー、しかし、いいですねー。溜息が出るほど、本当に「いい」ジャケットだ。
今の私は、服を所有し、着て楽しむというよりも、ファッションが生み出す「表現の多様性」そのものに強く興味を惹かれる人間なのだと思う。このジャケット一枚にしても、デザイナーの哲学、素材の背景、価格設定、そしてそれを着るであろう(想像上の)人々のライフスタイルまで、様々な物語が詰まっている。
だから、たとえ自分が着ることは叶わなくても、こうして素晴らしいクリエイションに触れ、そのブランドのエッセンスを感じ取り、あれこれと妄想を膨らませるだけで、ファッション愛好家としての心は十分に満たされるのである。
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