東京の公園で撮影されたBOTTEGA VENETAの24SSキャンペーンは、日本特有の空気感を背景に異彩を放っている。このキャンペーン写真は、マグナムの正会員であり、著名なドキュメンタリー写真家のアレック・ソスによるもの。彼の作品は、エネルギッシュで想像性と遊び心に溢れ、ボッテガ・ヴェネタの革新的な精神を体現している。アレック・ソスのドキュメンタリースタイルとファッションへの深い理解が融合し、広告を超えたアート作品へと昇華された。彼の作品は、ドキュメンタリーの手法とコンセプチュアルなアプローチを融合させ、予期せぬ美を捉える。このキャンペーンを通じて、アレック・ソスは、ファッション写真における新たな地平を開いた。
秀逸なキャンペーンヴィジュアルに感じた違和感の正体

東京の公園を舞台にしたBOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ)の24SSキャンペーン写真。いい意味で違和感のあるビジュアル。日本に住んでいるからこそ、一体これはどこなんだ!?と思わず感じてしまう独特な空気感をたたえている。
いつものようにRSSフィードでファッション関連の情報を追っていたら、キノコから腕を出しているモデルにまんまと興味をそそられてしまったので本文を読んでみた。添付の画像は19枚。2021年には突如としてInstagramのアカウントを削除したことで話題にもなったボッテガヴェネタだが、クリエイティブは相変わらず圧倒的。先代のダニエル・リー時代からリブランディングが加速し、現在のマチュー・ブレイジーもその流れを見事に受け継ぎつつ、さらに自分の色を加えているようだ。
「エネルギッシュであると同時に、想像性、遊び心に溢れた〈Bottega Veneta〉らしいビジュアル」と記事の中で表現されている通り、どれも静かなフリをして強烈なインパクトのある写真ばかり。本文を読み進める中で、撮影を手掛けたのがアレック・ソスだということを発見し、私は大きく頷いた。この写真の違和感がスッと身体から抜けていった。彼の持つ独特の視点と、ファッションに対する深い理解が、このキャンペーンをただの広告以上のものに昇華させている。
私も普段の生活の中で撮影をすることがある。CanonのEOS R6を肩にぶら下げ、自然や街中でのイメージを抽象的な模様として切り取ることが多い。写真はあくまで趣味として関わっている領域ではあるが、ドキュメンタリーフォトの世界で活躍する人々の作品を、図書館やネットでひたすら見ていた時期があった。アレック・ソスは、そういった経緯で必然的に出会った写真家だ。

計算の上に成り立つドキュメンタリー写真
アレック・ソスは、新しい時代の著名な写真家。ドキュメンタリースタイルを得意とし、マグナムフォトの正会員でもある。ドキュメンタリー写真の文脈で知った写真家だからこそ、こうしてファッション写真経由で出会うことに意外性を感じている。彼は代表作「Sleeping by the Mississippi」を発表するや、世界的に高い評価を得て、現代アメリカ写真を牽引する不動の存在となった。アレック・ソスはアメリカらしい、いわゆる“オン・ザ・ロード”系の写真家というカテゴライズのされ方をすることが多い。確かに、WEBで彼の作品を眺めてみると、アメリカのカウンターカルチャー味を感じるロードムービーチックな写真が目に留まる。
一般的にこうしたドキュメンタリーの手法を取り入れる場合、偶然性に身を委ねて撮影をすることが多いであろう。スナップシューティングなんかはその典型例であるが、常にカメラを持ち歩き、出会ったシーンのいくつかを切り取っていくスタイルがドキュメンタリーの基本だからである。しかし、アレック・ソスは偶然に頼ることなく、緻密に構成されたコンセプトを記録していくスタイルの写真家である。
もっと正確にいうならば、彼は自分自身をハーフコンセプチュアルな写真家であると述べている。それは、予想外の展開に柔軟に反応できるようにするため、ある程度「余白」を持たせているということ。最初にコンセプトをガチガチにしてしまうと「予想外」を掴み損ねてしまうし、かと言って無計画にカメラを持っていても被写体が目に飛び込んでこない。この感覚は、なんとなくわかる。私が山小屋で働いていた時代、新しい景色を求めて、こんな空間に辿りつきたいとある程度考えながら獣道を歩いていると、目指している場所とは異なる視線の先に神秘的な景色を見つけることがある。写真のプロの思考の深さと並列に考えるのは大変おこがましいが、こういうのをセレンディピティというのであろうか。
そういった背景からもわかるように、彼は作品の主題=タイトルをとても大切にしている写真家である。以下は彼のタイトルについての考え方を表したインタビュー記事の抜粋である。
「学生たちには必ず作品タイトルを尋ねます。『考えてない』『まだ決めてない』なんて答えが返ってくると、私にはとても信じられません」と、ソスはタイトルの重要性を訴える。「タイトルは中身を入れる容器です。バンドを組んだら真っ先にバンド名を考えるし、映画のスクリプトを書いてハリウッドのプロデューサーに売り込むなら、『タイトルは考え中』なんてことは絶対にあり得ない。タイトルとは、作品を概念化し、作品に文脈を与えることなのです。例えば『Sleeping by the Mississippi』を『The Mississippi River』と名付けたら、全く別の作品になりますよね? 片方は詩的なニュアンス、もう一方は記録的ニュアンスを含む。私は普段から、タイトルを含めて文章や言葉と写真の関係について考えていますが、言葉には一方向に流れる作用があり、文脈を特定しすぎてしまう恐れもあるので注意が必要です」。
引用元:IMA|アレック・ソスインタヴュー開かれた地平線

コミュニケーション手段としてのファッション、そして写真。
こうしてアレック・ソスを辿ってみると、彼が手掛けるファッション写真は、ただ美しいだけでなく、その背後にある物語やコンセプトに重点を置いていることが伝わってくる。彼の写真は、モデルや服だけではなく、その環境や雰囲気、そこに流れる時間までをも捉え、視覚的な物語を紡ぎ出す。こうしたアプローチからは、ファッションが単なる装飾以上のもの、すなわち個人のアイデンティティや文化的背景を映し出す手段であることがわかる。アレックス・ソスが「コミュニケーション」という言葉を多用するのも納得がいくように、何か深いメッセージを感じずにはいられない。
日本の公園、それもただの公園ではなく、「エネルギッシュであると同時に、想像性、遊び心に溢れた〈Bottega Veneta〉らしい」場所を求めて辿り着いたのが、この公園だった。それを思うと、今度はどういった経緯でここの公園をロケハンしたのかが気になってくる…
実はアレック・ソスがファッション写真を世に出すのはこれが初めてではない。『Fashion Magazine』では、ファッションをテーマにマグナムの所属メンバーが1冊の特集を組む形式で作品を発表している。マグナムとしてはある種挑戦的な写真集であることに間違いはないが、この写真集の第三号がアレック・ソスによる撮影/編集のようだ。
アレック・ソスによるボッテガ・ヴェネタのキャンペーン撮影は、彼のこれまでのキャリアとは一線を画すかも知れないが、彼の芸術性とドキュメンタリー写真への情熱が新たな形で表現されていることは間違いない。彼の視点を通じて見るファッションの世界は、私たちに新鮮な驚きを提供し、改めてファッションの可能性を認識させてくれるのであろう。
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